吉見孝夫先生の「イソップ資料 第12号 イソップ資料研究室 2019 12」
に鈴木潤吉先生の「鈴木三重吉とイソップ」という論考が掲載されていました。
この論考に、「赤い鳥研究(小峰書店)」において、樋口やす子 作
の「おしやべり」という短編がイソップ寓話の再話であると指摘されているということが紹介されていました。鈴木先生の論考によると樋口やす子は、鈴木三重吉の変名であるとのことです。次にその話を見てみたいと思います。
『赤い鳥』第二巻第六号、一九一九年六月、四二・四三頁
おしやべり 樋口やす子
或蓮沼に大変なお喋りの亀がをりました。その沼に雁が
大勢の子雁と一しよに住んでをりました。お喋りの亀は、し
じゆうその雁の巣へ出かけては、色んなことをペチヤ/\喋つて
行きました。子雁たちはそのお話を面白がつて、きやツ/\と
笑つて喜びました。
併し雁のお母さまは、亀があんまり大きな声で喋るので、
他の悪い強い鳥がその声を聞きつけて、自分たちのところへ、下
りて来やしないかと、いつもびく/\してをりました。
或夕方亀は、息を切らして雁のところへ駆けつけてまゐりま
した。
「まあ、亀さん、真つ青な顔をして、どうしたのです。」と雁が聞
きました。
「あゝ雁さん。どうしたらいゝでせう。」と亀は泣き出しさうな声
で申しました。
「実はね、どうにかならうよ
が食はれてしまつたんです。ぐず
/"\するない と
びく/\するない
は旨く遁げたいのだけど、どうしたら
遁げられるでせう。」
「一たいされは何のことなんです。」
「何ね、さういふ名前の魚がゐたんですよ。その三人とも丁度
こんな沼の中に住んでゐたんです。
すると或日三人は、漁師たちが明日は網を持つて自分たち
を取りに来るといふ話を聞き込んだのです。さうすると
ぐず
/\するない
は、さあ遁げろと言つて早速どこかへ遁げてしま
ひました。
びく/\するない
は、何もさうさわぐには当らないと言つて
平気でゐました。ところがもう一人の
どうにかならうよ
はフゝン
と笑つて、何、捕まれば捕まらうし、捕まらなけれや捕まらない
までだ、くよ/\するのが一等馬鹿だと、のんきに構へてをりま
した。
さうすると、翌る朝漁師が来て、ザブンと網を下しました。
二人の魚はまんまとその網にかゝりました。
併し
ぐず/"\するない
は上手に死んだふりをしてゐて、し
まひに隙を狙つて、ひよいと沼の中へ跳ね飛んでどん/\遁げて
しまひました。
ところが、どうにかならうよ
はのろまなものですから、いきな
り捕まつて煮て食はれてしまつたんです。
そこまではいゝけれど、さツき私が向うにゐたら、漁師たちが
来て、明日はこの沼へ網を入れようといふ相談をしてゐるぢや
ありませんか。私はそれを聞いてびつくりして飛んで来たので
す。雁さん、どうしたらこの池を遁げ出せるでせう。」と亀はさ
も困つたやうにかう申しました。
「それはあなた、遁げて行かうといふには、空を飛んで行くより
外には為方(しかた)がないぢやありませんか。」と雁は申しました。
「だつて私には羽根がないから飛ばれやしません。どうぞ私
をつれて遁げて下さいよ。」と亀は頭を下げてたのみました。
「でも、飛べないお前さんが、私たちと一しよに遁げられないぢ
やありませんか。」
「いや、それにはいゝことがあります、私が何か棒ツ切れに掴ま
つてゐるから、お前さんたち二人でその棒ツ切れの両はじを
くはへて飛んで行つてくれゝばいゝでせう。」
「成程、それでは早くその棒ツ切れを探して入らつしやい。」
そこで亀はいゝ加減な棒ツ切れを見つけて来て、それに掴ま
りました。
「併しあなたはお喋りだけれど、途中でうつかり、口をきく
と、すとんと下へ落ちてしまひますよ。」と雁が申しました。
「分つてゐます。喋りやしません。」
「ぢや行きませう。そうら、ばた/\/\。」
と雁が二人で棒ツ切れをくはへて、なんなと一しよに大空へ駆
け上りました。そして一生けんめいにどん/\飛んで行きま
すと、下の村の人たちがそれを見て、
「やアい、亀が飛んでらアい」と囃し立てました。
「あはゝ今にすとんと落ツこちるよ。」
「はゝゝゝア」と、みんなで大笑ひをしながら見てゐました。
亀はそれを聞いて、
「余計なお世話だい。さううか/\落ツこちてたまるものか。」
と思ひました。
「やアい亀、落ちろよ、落ちろよ。」と下ではみんなが怒鳴りまし
た。
「さあ、早く火を焚いて為度(したく)をしておかないか、あの亀が落ちて
来たら、早速焼いて食べようぢやないか。」と、その中の一人が
申しました。亀はそれを聞くと、むツと怒つて、
「何だ、私を焼いて食べる?へん、泥でもお食べよ。--馬鹿ツ。」
と、うつかり大声で怒鳴りました。
それと一しよに亀は、くる/\くる/\すとんと地べたへ落ち
て、とう/\みんなに焼いて食べられてしまひました。(をはり)
この類型の話は、イソップ寓話となんらかの関係がある可能性がありますが、直截的に関連するのは仏教説話から派生したインドの昔話であるようです。上記の「おしやべり」はインドの昔話から前半部分は「三匹の魚」、後半は「亀と鵞鳥」という話が用いられています。
パンチャタントラ
不信の龜
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978860/219
三匹の魚
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978860/220
シャルマン物語(ヒトパデーシア)
龜と鵞鳥
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717511/98
準備と敏捷となげやりの三魚
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717511/99
「3匹の魚の内1匹だけが先に逃げ、2匹は捕らえられ、その一方は死んだ振りをして逃げる」というような内容や、亀と地上の人間の言い争いの類似から、「おしやべり」はヒトパデーシア系統からの翻案であるように思われます。(パンチャタントラ系統では2匹は逃げ1匹だけが捕らえられます)
参考文献:イソップ寓話の世界 中務哲郎 著 ちくま新書 p170~p174
参照:「亀と鷲」と「亀と二羽の白鳥」につ いて
次に、三重吉の中学生時代に作った「あほう鳩」という話が紹介されていました。
『少年倶楽部』第三巻一八九七年五月、一一〇・一一一頁
あほう鳩 広島県広島市猿楽町 鈴木三重吉
気候は追々寒くなる動物は皆難儀甚だしくて、因却致し
ます中にも、小鳥は、とある小枝に集会して、巣の寒さに堪へ難
きを評議しました。併し中々相談がまとまりさうでも有りま
せなんだ。所が議員中の鶯梅之助氏は『こんなグズ/\した
事では間に合はんソウジヤ/\』と独り問ひ独り答へて近辺に
座を占めて居た。目白鳴三郎を誘ひて、評議して居る仲間を
後に見て、高き山山を越えて、ダン/\に進んで行きました。
目白氏は心気な上に疲れて来て『理由も聞かずに附いて来た
が、一体如何する積りだろう、ヨシ/\鶯君に尋ねて見やう』
と先に立ちたる鶯に向ひ『鶯君、君は遠くに僕をつれ出してい
じめる考へか如何するのだ』鶯は『僕はそんな悪戯はしなひの
サ』と後目もふらず行く内に或る深山の中程なる五抱も有ら
うかと思ふ様な大きな松の木の下まで来まして『此所だ此所
だ』と目白を下に待たして、置いて、松の深葉の中に屋敷を構ふ
る鳶大目之助先生の玄関に至り『一寸御免なさい』『何殿(どなた)で
すか』と出で来たのは此の屋の細君と見えまして、品格のある
婦人でした。鶯は頭を掻乍ら『私は見るかげもない小鳥です
が、旦那に御願ひが有ツて参じました、旦那御内ですか』『マア
上れ誰だ』と。口ひげをひねり乍ら鳶大先生御出ました成ツ
た。『ヤア誰かと思や鶯か、先づ此ツちへき給へ』『はい有難う存
じます、初めて御目にかゝりまして、………御壮健で、何より
の事で、』、『フン随分壮健で、………シテ御願ひとは何事か
ね』『外の事では御座いませんが、先生どうも私の家は、不丈夫で
此冬暮し兼ねうかと存じまして甚だ申し兼ねますが何卒丈
夫な建方が御伝授願ひたひので、実は目白と同道して参りま
して、下へ待たして置いた様な事で御座います。マアどうか御願
ひ申します』『理由(わけ)を聞けば、実に可憫だ、ジヤ教へて遣はさう、
実はかく/\かやう/\致すのじや』と教へられて、鶯は大悦
こび、早々己れが住家へ帰りて、目白と協同して冬を凌ぐべき
大丈夫の立派な家を作りました。数多の小鳥等は此事を聞
き伝へ、鶯目白に頼んで教へを受け、各丈夫な家を建て、楽に
此冬が送られると大悦びこれから鶯、目白は大へん仲間の尊
敬を受けました。
此に小鳥など弱きものをイヂメ、大の憎まれ者でアホウとあだ
なせられる、一羽の鳩が居ましたが小鳥などの巣をうらや
ましかり、伝授を頼んだが、平生イヂメた返報で教へてが有り
ません。そこで大に困りて居ましたが、誰曰ふとなく、鳶は親切
に教へて呉れるそうだといふ事が鳩の耳に入りました。鳩は『ジ
ヤー鳶に頼まう』と鳶の元へゆき、無礼にも案内なしに上りこ
みて、アイサツをもせずに、此事を頼みました。鳶は心の中で
『無礼な奴じや』と思ひましたが、元来親切な生ですから、そを
色にも出さず、親切に教へかけましたが、鳩は『ウン知ツた/\
分タ/\』と終りまで聞かず、礼をも云はず、ヤレソリヤで帰
りました。諸君もし此鳩がよく、含み込めば善いのに、ウン知ツ
た/\でやりましたから、今度巣を作る役になりて、旨く行き
ません。ダツテ又問ひに行くのもきまりがあしく、遂に大概に
して置きましたそれが鳩の巣は今に至迄、不細工で、テンツマ
リは人工を貸りて、やう/\住み込む様な事になツたのです。
何事によらず、軽浮に扱ふとあの鳩の通り、終りを全うする事
ができません。
この話は、色々潤色はされていますが、日本の昔話にもある「鳩の巣作り」の話です。
日本昔話通観 稲田 浩二 同朋舎出版
タイプインデックス 483『鳩の巣作り』
①烏が鳩に巣の作り方を教えるが、鳩はいい加減に聞き流して飛び去る。
②それで鳩は、不細工な巣しか作れない。
日本昔話通観 小澤俊夫 稲田 浩二 同朋舎出版
18-577『鳩の巣作り』 能義郡広瀬町西比田・男
うぐいすはきれいな鳥であるし、りっぱな巣も作る。鳩が見て、あんな巣が作れればよいのにと思い、うぐいすに巣作りを習いに行く。うぐいすがていねいに教えるのに、「ははあ、ああ、そげえか、そげえか」と半分ほど聞いて帰る。自分で巣を作ろうとしてもなかなか作れない。も少しよく聞いとけばよかったと思ったが、まあよいと不細工な巣を作った。このことから鳩合点という言葉がある。
この類話は外国にもあります。
Type236 (Aarne-Thompson Type Index)
ツグミはハトたちに、小さな巣の作り方を教える。
ハトは「I
know」と言い続ける。そして、小さな巣を作ることに固執する。
そしてこの類話は、ペリーのイソップ寓話集にも入っています。
ペリー626『郭公と鷲』
ある日のことである。鳥たちは、バラなどの甘い香りの花々で編まれた巣を見つけた。そこで、鳥の王である鷲は、最も高貴な鳥にこの巣を与えることにすると宣言した。そして鷲は、議会を召集し、誰が一番高貴な鳥か出席した全員に尋ねた。すると、郭公が、「カッコウ、カッコウ」と答えた。更に鷲は、一番速く飛ぶ鳥は誰か尋ねた。すると郭公が、「カッコウ、カッコウ」と答えた。では、一番歌の上手な鳥は誰か? 「カッコウ、カッコウ」またしても郭公が答えた。鷲は郭公にうんざりして腹を立てるとこう言った。
「哀れな郭公よ。お前は絶えず自分を褒めてばかりいる。よって、ワシはお前に次のように言い渡す。この巣はお前には決してやらぬ。それどころか、お前はどんな巣も持ってはならぬことにする」
こうして、郭公は、いつでも他の鳥の巣へ卵を産むようになったのだ。
ペリー626の話は、鳩ではなく郭公になっており、「何故、郭公が巣を持たずに他の鳥の巣に卵を産むようになったか?」の起源説話にもなっています。ペリーの話には、鷲が鳥の王として登場します。そして鳥の会議が開かれています。これは、「あほう鳩」に出てくる鳶や、評議と関連があるかもしれません。
更に、日本の昔話にも郭公の出てくる話があります。
日本昔話通観 小澤俊夫 稲田 浩二 同朋舎出版
11-579『スックロの家なし』(原題・カンコ鳥、便覧) 石川県鹿島郡田鶴浜町
立山のカンコ鳥は巣を作らずに遊ぶばかりしていて住む家がないので、夕方になると、「スックロ、スックロ」と鳴く。遊んでばかりいたらだめだ。
鈴木先生の論考によると、赤い鳥の作品群とイソップ寓話との関連については、ほとんど調べられていないそうです。当ブログでも、赤い鳥を網羅的に調べることはできないのですが、イソップ寓話と関連のありそうな題名からごく一部ですが読んでみました。次に、「世界童話集 21 象の鼻 鈴木三重吉」に掲載されている、「悪狐」と「虎と乞食」という二つの話を見てみたいと思います。
この本の前がきに、「悪狐」はドイツの童話を芸術的に再話したものであることが書かれていますが、これは、ゲーテの「ラインケ狐(狐の裁判)」の抄訳であると思われます。ゲーテの「狐の裁判」は明治17年というかなり早い時期に井上勤により翻訳されています。また、巌谷小波の「こがね丸」にも「狐の裁判」のモチーフが用いられています。次に「魚泥棒」のモチーフの話を見てみます。
悪狐 p32-34
・・・狼さんと狐とは、二人とも食べものがなくて困つてゐました。さうすると、雪のつもつた村の通りを、魚をつんだ荷馬車が通りました。
狼はその魚を買つて食べたいと思ひましたが、お金を一銭も持つてゐません。それで狐が考へついて、わきみちから、どん/\先へ走つていつて、その荷馬車のとまるところへころがつて、死んだふりをしてゐました。
馬車つかひは、馬車をとめて、ぴしやりと狐をたゝいて見ました、狐はいたいのをがまんして、じつとしてゐました。馬車つかひは、ほう、しめた、あの毛皮をはいで頸巻を作らうか、と一人ごとを言ひながら、狐を引つつかんで荷の上へほうり上げました。そして又がら/\とかけ出しました。
狐はそのみち/\、こつそり魚をとつては、どん/\雪の上へ投げました。そして、しまひに飛びおりて、狼さんと二人で食べようと思ひますと、狼は、とつくに一人でみんな食べてしまつて、あとは骨ばかりが残つてゐるきりでした。
こがね丸
・・・・・・・
さてその翌朝、聴水は身支度なし、里の方へ出で来つ。此処の畠彼処の廚と、日暮るるまで求食りしかど、はかばかしき獲物もなければ、尋ねあぐみて只ある藪陰に憩ひけるに。忽ち車の軋る音して、一匹の大牛大なる荷車を挽き、これに一人の牛飼つきて、罵立てつつ此方をさして来れり。聴水は身を潜めて件の車の上を見れば。何処の津より運び来にけん、俵にしたる米の他に、塩鮭干鰯なんど数多積めるに。こは好き物を見付けつと、なほ隠れて車を遣り過し、閃りとその上に飛び乗りて、積みたる肴をば音せぬやうに、少しづつ路上に投落すを、牛飼は少しも心付かず。ただ彼牛のみ、車の次第に軽くなるに、訝しとや思ひけん、折々立止まりて見返るを。牛飼はまだ暁得らねば、かへつて牛の怠るなりと思ひて、ひたすら罵り打ち立てて行きぬ。とかくして一町ばかり来るほどに、肴大方取下してければ、はや用なしと車を飛び下り。投げたる肴を一ツに拾ひ集め、これを山へ運ばんとするに。層意外に高くなりて、一匹にては持ても往かれず。・・・・・
狐の裁判 ゲーテ著 井上勤 訳
p11-12
狐の裁判 ゲーテ著 樋口紅陽訳
p11-12
日本昔話大成 関敬吾 角川書店
動物葛藤1魚泥棒
1.狐(熊・猿)が路上で死んだまねをする。魚屋が狐を捕えて魚車にのせる。狐は魚を車の外に投げすて、それをとって逃げる。2.熊(兎・狐・狸)がその魚を見て、どうしてとったかとたずねる。狐は氷穴に尻尾を入れて釣ったと欺く。3.熊はそのとおりにして尻尾を凍りつけられる。
Type1 The Theft of Fish.
参照:
エソポのハブラス1.24
この「狐の裁判」の物語にはこの他に、インドの説話やイソップ寓話のモチーフが随所で用いられています。次に「熊と狐」のモチーフを見てみます。
悪狐
p38-39
・・・・・・・・・
「蜂蜜はこの材木の間にあるのです。あのわれ目へくびを突つこんで、なめてごらんなさい、奥の方にどつさりあります。」と狐が言いました。
人のいゝ熊は、
「ほう、これはありがたい。」と言ひ/\、横手から鼻先をぐりぐい突つこんで、舌でペロ/\となめさがしました。
狐はすきまを見て、ぽんと、くさびをたゝきはづしました。熊は顔半分を、ぴしやりとはさまれて、
「あいた、たゝゝゝ。あゝ、はなしてくれ、うゝう、いたい/\/\。」と泣き出しました。
狐の裁判 ゲーテ著 井上勤 訳
p39~
狐の裁判 ゲーテ著 樋口紅陽訳
p27~
この話を、「狐と熊の争い」という観点から見ると次のような類話が見られます。
昔話大成 関敬吾 角川書店
動物新 04『熊と蜜蜂』
1、狐が熊に蜜蜂の巣を教える。2、熊が巣に近づくと蜂は熊を襲う。その間に狐は蜜を持って逃げる。
ウサギどんキツネどん28『クマどんのさいご』(J.C.ハリス)
八波直則 岩波少年文庫 参照
・ウサギがメドウズさんのお呼ばれに行った帰り道、クマと出会う。ウサギはクマに、ハチミツの巣のある古い木があることを教える。クマが木に登り、洞に頭を突っ込むと、ウサギは下のハチの巣を棒で叩く。ハチがクマの顔を刺し、クマの顔が脹れて、洞から抜けなくなる。もし頭のはれがひかなければ、今でもそのままだろう。
この話を「楔に挟まれる」というモチーフから見ると、次のような類話が見られます。
Ernest Griset 297『猿と大工』
猿は、大工が木材に割れ目を入れると、次から次ぎへと二つの楔をはめ込んで木材を割って行くのを見ていた。大工は、仕事を半分の残してその場を離れた。猿
は自分の手で、木材を割ってみたくなった。そこで、木材の所へ行くと、割れ目にあてがわれていた楔を抜いた。すると、裂け目が閉まり、間抜けな猿の前足を
素速く捕らえた。猿は逃れることができなくなってしまった。そこへ大工が戻って来た。彼は自分の仕事に手を出した猿に腹を立て、猿の頭を叩き割った。
参照:トルストイの印度寓話04『猿』
イソップ寓話関連では次の話があります。
Bewick's Select Fables of Aesop and Others.
2.35『言いつけに背く若いライオン』
経験豊富な年老いたライオンが息子のライオンに色々な助言を与えた。その中の一つに決して人間には近づいてはならぬというものがあった。
「もしそんなことにでもなったら、大変なことになるぞ」
若いライオンは、父親の話を聞いて、その助言を記憶には留めたが、肝に銘じることはなかった。
その後ライオンは大人になり、体力も精神力も爛熟すると、人と戦おうと人間を探し回った。歩き回っていると、彼はくびきに繋がれた牡牛や、鞍などの馬具をつけたウマに出会った。そして、それぞれに、お前が人間か? と尋ねた。彼らは自分たちは人間ではないと答えた。ライオンはそれから、木を切り倒している者のところへとやってきた。
「俺の言うことがわかるか?」ライオンが言った。「お前が人間だな」
「そうです。私は人間です」
「そうか、よかった。無理にとは言わんが、お前は、俺と戦ってみる気はないか?」
「いいですよ」人間が言った。「快くお受けします。あなたもご存知のように、私はこれらの木材を全て引き裂くことができるのです。あなたもこの木を引き裂くことができるか試してみてください。この木の割れ目に足を入れるのです。その鉄の小片があるところです。」
こう言われてライオンはすぐに、自分の足を木の裂け目に入れた。そして、物凄い力で、その鉄の小片を引き抜いた。すると木は、すぐさまライオンの足先を挟み込んだ。男はすぐさま大声を出して、このことを村中に知らせた。ライオンは、彼が足を入れた割れ目が何であるかを悟った。彼は肝っ玉を据えて揺さぶった。そしてその罠から足を引き抜いた。しかし、鉤爪はそこに残してゆくことになった。ライオンは血まみれになって、父親の許へと逃げ帰った。そして父親に言った。
「お父さん。お父さんの助言に従っていれば、決してこんな目にあわなかったものを……」
教訓
親へ反抗すれば、遅かれ早かれ、神の罰を受けることになる。
Pe706『人について学んだライオンの息子』(706a), Cax5.16
冗談とまじめ018『木から爪が抜けなかったライオンのこと』
冗談とまじめ250『ミロが死んだときの様子のこと』
Type38
木の裂け目に鉤爪引っかかる。
K1111
お人好しは、手(足)を木(万力や楔)の間に入れる。
ところで、ゲーテの「狐の裁判」では、狐のライネケは危機の都度、その舌先三寸で乗り切るのですが、三重吉の「悪狐」の結末は、「悪い狐が王様のライオンに捕まって懲らしめられる。」という道徳的な結末に改変されています。
最後に、「
虎と乞食」について見てみたいと思います。この話は「
前がき」にインドの民話を芸術として再話したことが書かれていますが、この話は、THE
BRAHMIN, THE TIGER AND THE SIX
JUDGES.(バラモンと虎と6人の裁判官)の翻訳であると思われます。
OLD Deccan Days OR HINDOO FAIRY LEGENDS
CURRENT IN SOUTHERN INDIA.
COLLECTED
FROM ORAL TRADITION, By M. FRERE.
WITH AN INTRODUCTION AND NOTES, By SIR
BARTLE FRERE.
Gutenberg.org
次に、三重吉の「虎と乞食」と「バラモンと虎と6人の裁判官」の登場人物を比べてみたいと思います。
バラモンと虎と6人の裁判官
主人公:
Brahamin(バラモン)
Tiger
(虎)
6人の裁判官:
1.Banyan tree (バニアンの木)
2.Camel
(ラクダ)
3.Bullock (牛)
4.Eagle (鷲)
5.Alligator
(ワニ)
6.Jackal (ジャッカル)
三重吉の訳では、バラモンは「乞食」に変えられています。海外でもバラモンを「旅人」と変えている例があります。また、三重吉は6人の裁判官のうち、2番目のラクダを省いています。これは、ラクダは、3番目の年老いた牛と同じ境遇で重複するため、一方を省いたのかもしれません。そして、6番目のJackal(ジャッカル)なのですが、三重吉はこれを「豹(へう)」としています。しかし、ジャッカルとヒョウではキャラクターが違います。もしかすると、三重吉は、豺(サイ)と豹(ひょう)を見間違えたのかもしれません。
「パンチャタントラ」や「ヒトパデーシア」や「カリーラとディムナ」の邦訳では、ジャッカルに相当する動物を「豺(サイ)(ヤマイヌ)」と表記することがありますが、これを「豹」と見間違えたように思えます。実はこのような例は他でも見られます。
Wikipedia
カリーラとディムナ
・・・・・・
題名の「カリーラ」と「ディムナ」は物語に登場するヒョウの名前であり、第1編「ライオンと牛」の主人公カラタカ(Karataka)とダマナカ(Damanaka)の名前が転訛したものである。
Wikipediaにはこのように書かれているのですが、「カリーラ」と「ディムナ」はヒョウではなく、ジャッカルに相当する動物です。この二つの事例を勘案すると「豹(ヒョウ)」は「豺」の誤読であると推測できます。
(三重吉は、Jackal
を訳する時に、ヒトパデーシアの邦訳からJackalに相当する動物を参照し、その際に豺を豹と見間違えた可能性があるように思います。)
次に、「虎と乞食」の類話について見てみたと思います。
日本昔話大成 関敬吾 角川書店
動物新 13.2『商人と蛇・第二類』
1、旅人が檻に入った虎を出してやる。2、虎は旅人を食おうとするので、三人の意見を聞いて決めることにする。3、牛と木は食えると答える。4、狐は最初からみせろといい、虎が檻に入れると錠をかける。
この日本の昔話は「バラモン」が「旅人」となり、裁判官が6人から3人に減っています。また、「ジャッカル」は「狐」となっています。ジャッカルと狐は似たキャラクターなので、ジャッカルのいない地域では狐に置き換えられることがあります。おそらくこの話は、「バラモンと虎」と同じ話で、明治以後の翻訳から日本の昔話となったのではないかと思います。(裁判官の人数が3人になっているところから、Indian
Fairy Tales by Joseph Jacobs
The Tiger, the Brahman, and the Jackal
からの訳が基になっている可能性も考えられます。)
そしてこの類話は「ラインケ狐(狐の裁判)」にも入っています。
狐の裁判 ゲーテ著 井上勤 訳
p257~
狐の裁判 ゲーテ著 樋口紅陽 訳 旅人と大蛇の裁判
当然三重吉は、「虎と乞食」の類話が「狐の裁判」に入っていることは知っていたのだと思います。知っていたので、「悪狐」の次に「虎と乞食」を載せたのかもしれません。
ところで、「旅人と大蛇の裁判」の話は、江戸時代の初めに日本で出版された、国字本の伊曽保物語にも入っています。
伊曽保物語 三巻 四 たつと人の事
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532142/81
ある河のほとりを。馬にのりてとをる人ありけり。其
かたハらにたつといふもの。水にはなれてめいハく
するありけり。此たついまの人をミて申けるハ。われ
今水にはなれてせんかたなし。あはれみをたれ給ひ。
その馬にのせてみつのある所へつけさせ給はゝ。その
返報として。金せんを奉らんといふ。かの人誠と心え
て。馬にのせてみなかミへおくる。そこにてやくそく
の金せむを。くれよといへは。たついかつて云。なんの
きんせんをかまいらすへき。我を馬にくくりつけて。
いため給ふたにあるに。きんせんとは何事そと
いとみあらそふ所に。狐はせ来て。さてもたつとのハ
なに事をあらそひ給ふそといふに。たつ右のおも
むきをなんいひけれハ。きつね申けるハ、われこの
公事をけつすへし。さきにくくりつけたるやうハ。
なにとかしつるそといふに。たつ申けるハ。かくの
ことしとて又むまにのるほとに。きつね。人に申ける
ハ。いか程かしめ付たるそといふ程に。これ程とて
しめけれハ。たつの云。いまたそのくらいなし。したたか
にしめられけるといへは。これ程かとていやましに
しめつけて。人に申けるハ。かゝるむりむほうなる
いたつらものをは。もとのところへやれとておつ立
たり。人けにもとよろこひて。本のハたけにおろせり。
其時たついくたひ。くやめともかひなくしてうせに
けり。そのことく人の恩をかうむりて。その恩をほう
せんのミ。かへつて人にあたをなせは。天罰たちまち
あたるものなり。これをさとれ
(句点。万事本を参考に挿入)
このイソップ寓話では、「竜は水場から離れて迷惑している」となっていますが、「乞食と虎」でも「虎は喉が乾いて困っている」となっています。おそらくこのインドの民話も元々は竜の話であったものが、何らかの理由で虎に変容したのではないかと思います。日本でも後に、絵入教訓近道において「竜」は「河童」に変容します。また、日本では河童と水虎が同一視されていることも留意すべきかもしれません。
参照:竜の話
イソップ寓話は明治から頻繁に翻訳がなされているので、赤い鳥ではイソップ寓話そのものを取り上げることはなかったのかもしれません。しかし、西洋の昔話などにはイソップ寓話のモチーフが使われることがよくあるので、赤い鳥でもイソップ寓話と意識されずに用いられている例が他にもあるかもしれません。(ちなみに、「デイモンとピシアス」の中で、「ドモクレスの刀」という有名な話が出てきますが、これもペリーのイソップ寓話集に631『ギリシア王と彼の弟』として採話されています)
2021年1月9日
2021年1月12日改定