2021年12月26日日曜日

主な参考文献

イソップ資料 第13号 2021.10
第13号によせて
【自著紹介】『絵入巻子本 伊曽保物語 翻刻・改題・図版解説』
明治期のイソップ寓話集類 概要
鈴木三重吉とイソップについて
明治期のイソップ寓話集類 タイトル・原拠・同定
明治期のイソップ寓話集類 対照表

 

イソップ資料 第12号 2019.12
第12号に寄せて
鈴木三重吉とイソップ
明治期の寓話集に載ったイソップ寓話
明治期の雑誌に載ったイソップ寓話 補遺

イソップ資料 第11号 2018.10
第11号に寄せて
『経済説略』『生産道案内』『経済要旨』のイソップ寓話
明治期の雑誌に載ったイソップ寓話

イソップ資料 第10号 2017.12
第10号に寄せて
古活字本・天草本イソポ伝についての一つの疑問
『もとかしは』所収の古活字版『伊曽保物語』
古活字版『伊曽保物語』無刊記第三種本の基礎的研究
重山文庫蔵古活字版『伊曽保物語』無刊記第三種本 翻字

イソップ資料 第9号 2017.4
第九号に寄せて
古活字版 『伊曾保物語』無刊記第七種本の基礎的研究
天理図書館蔵古活字版『伊曾保物語』無刊記第七種本 翻字
『遠近新聞』に掲載されたイソップ寓話 
意拾喩言 対照表・新訳伊曾保物語 対照表


イソップ資料 第8号 2016.10
第八号に寄せて
古活字版『伊曾保物語』無刊記第四種本の基礎的研究
天理図書館蔵古活字版『伊曽保物語』無刊記第四種本 翻字
ヘルメスから女神へ--イソップ寓話「きこりとヘルメス」の紙--

イソップ資料 第7号 2016.7
第七号に寄せて
大久保夢遊、竹村友治郎偏『伊曽保物語』の出版
天理図書館蔵巻子本『伊曽保物語』の基礎的研究
天理図書館蔵巻子本『伊曽保物語』翻字

イソップ資料 第6号 2015.4
第六号に寄せて
仮名草子『伊曽保物語』を引用、改作する諸書
戦後の中学国語教科書におけるイソップ教材

イソップ資料 第5号 2014.10
第5号に寄せて
「影模絵入蘭文伊曽保物語断簡」考
【付】「影模絵入蘭文伊曽保物語断簡」関連資料の影印
I「影模絵入蘭文伊曽保物語断簡」と1617年版 Vorstelijcke Warande der Dieren の
「断簡」該当部分の影印
II 1617年版 Vorstelijcke Warande der Dieren の「断簡」関連部分の影印
III 1682年版 Vorstelijcke Warande der Dieren の「断簡」該当部分の影印
IV 1567年版 De Warachtighe Fabulen der Dieren の「断簡」関連部分の影印
V 1578年版 Esbatement Moral des Animaux の「断簡」関連部分の影印
新村出の「影模絵入蘭文伊曽保物語断簡」解説原稿

イソップ資料 第4号 2014.3
第四号に寄せて
『絵入朝野新聞』に連載された『伊曽保物語』---解説偏---
『絵入朝野新聞』に連載された『伊曽保物語』---複写偏---
『絵入朝野新聞』に連載された『伊曽保物語』---翻字偏---
随感 『北京官話伊蘇普喩言』の訳者中田敬義に関する覚書

イソップ資料 第3号 2013.3
3号に寄せて
幕末、明治初期の新聞に掲載されたイソップ寓話
--『万国新聞(紙)』『中外新聞』『遠近新聞』--
改訂版:ロドリゲス『日本文典』中のイソップ寓話からの引用
--『エソポのハブラス』『伊曽保物語』との対比--

イソップ資料 第2号 2012.3
2号に寄せて
『RŌMAJI ZASSHI』に掲載されたイソップ寓話
ロドリゲス『日本文典』中のイソップ寓話からの引用
--『エソポのハブラス』『伊曽保物語』との対比--

イソップ資料 創刊号 2011.3
創刊のことば
日本におけるイソップ寓話集略解説---1900年まで
日本におけるイソップ寓話集対照表---1900年まで


発行:(創刊号から第4号まで)
北海道教育大学札幌校 国語学第二研究室 
吉見孝夫

第5号から~
イソップ資料研究室
吉見孝夫
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・イソップ寓話集・原典

『イソップ寓話集』 山本光雄訳  岩波文庫 シャンブリ版 358話 絶版 

『新訳イソップ寓話集』 塚崎幹夫訳 中公文庫 シャンブリ版 

『イソップ寓話集』 渡辺和雄訳 小学館 
シャンブリ版+シュタインヘーヴェル版+イソップの伝記G本付き絶版
(この本は、児童書と勘違いされることがあるが、イソップ伝は決して子供向きではない) 

イソップ寓話集 中務哲郎訳
岩波文庫 ペリー版 ギリシア語部 471話完訳
(イソップ寓話の原典として最高峰)
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・イソップ寓話集・韻文・翻案

イソップ風寓話集 パエドルス/バブリオス 岩谷智・西村賀子訳

叢書アレクサンドリア図書館10 国文社

『イソップ寓話集』 伊藤正義訳 岩波ブックセンター キャクストン版絶版
(他の説話との比較が豊富、研究書としても最良)

『全訳イソップ物語』 市川又彦 南雲堂 チャーリス版

『ロバート・ヘンリスン イソップ寓話集』 鍋島能正訳 弓書房・鷹書房 絶版

(狐物語やカンタベリー物語などの影響を受けたイソップ寓話集)

『寓話』 ラ・フォンテーヌ 今野一雄訳 岩波文庫 (イソップ伝付き)

『寓話』 ラ・フォンテーヌ 市原豊太訳 白水社

『クルイロフ寓話集』 内海周平訳 岩波文庫
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・16世紀に宣教師が日本に伝えたイソップ寓話集

『吉利支丹文学全集2』(イソポのハブラス) 新村出 柊源一 平凡社 (イソップ伝付き)

『古活字版 伊曽保物語』 国立国会図書館所蔵本影印 勉誠社 (イソップ伝付き)

『古活字版 伊曽保物語』 飯野純英 校訂 小堀桂一郎 解説 勉誠社 (イソップ伝付き)

日本古典文学大系〈第90〉仮名草子集 (1965年) 古活字版 伊曽保物語 (イソップ伝付き)
完璧な校訂だと思います。

『万治絵入本 伊曾保物語』 武藤禎夫 校注 岩波文庫 (イソップ伝・絵入教訓近道・付き)

『絵入り伊曽保物語を読む』 武藤禎夫 東京堂出版

『十錢文庫 伊曽保物語(萬治旧版)』 朝野房 東京百華書房 絶版
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・明治以後、イギリスから入ってきたイソップ寓話集

『日本児童文学名作集』(上)(童蒙教草からの抜粋) 福沢諭吉 岩波文庫

『伊蘇普物語直訳講義』 元木貞雄 小川尚榮堂 チャーリス版 絶版

『新訳伊蘇普物語』 上田萬年 幻黄社 絶版
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・中国のイソップ寓話集

『漢訳イソップ集』 内田慶市 ユニウス
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・イソップ寓話の研究書

『イソップ寓話 その伝承と変容』 小堀桂一郎 講談社学術文庫
(シュタインヘーヴェルや、日本の伊曽保物語についての変容を追っている)

『イソップ寓話の世界』 中務哲郎 ちくま新書
(ギリシア文学としての原典的な研究を中心に、インドの説話などについても幅広く言及されている)

『文学 昭和59年10月号、12月号』 小堀桂一郎 岩波書店

『邦訳二種伊曽保物語の原典的研究』 遠藤潤一 風間書房
(16世紀に宣教師が持ち込んだイソップ寓話についての研究)
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・イソップ以外の説話

『チベットの昔話』
アルバート・L・シェルトン 西村正身 訳 青土社

『タントラ・アーキヤーイカ』
『トゥーティー・ナーメ』所収話対照一覧表
『シュカサプタティ』所収話対照一覧表
『パンチャタントラ』所収話対照一覧表
西村正身 訳

『壺の中の女』:
呉天竺三蔵康僧会旧雑譬喩経 西村正身 羅黨興 訳 渓水社

『アジアの民話12 パンチャタントラ』 
田中於莵弥・上村勝彦訳 大日本絵画 絶版?

カリーラとディムナ アラビアの寓話

完訳グリム童話集 金田鬼一訳 岩波文庫(全5冊セット)  

『日本昔話通観 28 昔話タイプインデックス』 稲田浩二 同朋舎

『ラインケ狐』 伊藤勉 岩波文庫

『狐ラインケ』 藤代幸一訳 法政大学出版局

『知恵の教え』 ペトルス・アルフォンシ 西村正身訳 渓水社

『歴史』 ヘロドトス 松平千秋訳 岩波文庫

『エミール』 ルソー 今野一雄訳 岩波文庫

『南方熊楠全集三 (毛利元就、箭を折りて子を誡めし話)』 平凡社

『動物シンボル事典』 ジャン=ポール・クレーベル アラン・ロシェら訳

2017/3/09

2021年1月9日土曜日

鈴木三重吉とイソップについて

吉見孝夫先生の「イソップ資料 第12号 イソップ資料研究室 2019 12」 に鈴木潤吉先生の「鈴木三重吉とイソップ」という論考が掲載されていました。 この論考に、「赤い鳥研究(小峰書店)」において、樋口やす子 作 の「おしやべり」という短編がイソップ寓話の再話であると指摘されているということが紹介されていました。鈴木先生の論考によると樋口やす子は、鈴木三重吉の変名であるとのことです。次にその話を見てみたいと思います。

『赤い鳥』第二巻第六号、一九一九年六月、四二・四三頁
おしやべり
     樋口やす子    
 或蓮沼に大変なお喋りの亀がをりました。その沼に雁が
大勢の子雁と一しよに住んでをりました。お喋りの亀は、し
じゆうその雁の巣へ出かけては、色んなことをペチヤ/\喋つて
行きました。子雁たちはそのお話を面白がつて、きやツ/\と
笑つて喜びました。
 併し雁のお母さまは、亀があんまり大きな声で喋るので、
他の悪い強い鳥がその声を聞きつけて、自分たちのところへ、下
りて来やしないかと、いつもびく/\してをりました。
 或夕方亀は、息を切らして雁のところへ駆けつけてまゐりま
した。
「まあ、亀さん、真つ青な顔をして、どうしたのです。」と雁が聞
きました。
「あゝ雁さん。どうしたらいゝでせう。」と亀は泣き出しさうな声
で申しました。
「実はね、どうにかならうよ が食はれてしまつたんです。ぐず
/"\するない
びく/\するない は旨く遁げたいのだけど、どうしたら
遁げられるでせう。」
「一たいされは何のことなんです。」
「何ね、さういふ名前の魚がゐたんですよ。その三人とも丁度
こんな沼の中に住んでゐたんです。
 すると或日三人は、漁師たちが明日は網を持つて自分たち
を取りに来るといふ話を聞き込んだのです。さうすると ぐず
/\するない
は、さあ遁げろと言つて早速どこかへ遁げてしま
ひました。
 びく/\するない は、何もさうさわぐには当らないと言つて
平気でゐました。ところがもう一人の どうにかならうよ はフゝン
と笑つて、何、捕まれば捕まらうし、捕まらなけれや捕まらない
までだ、くよ/\するのが一等馬鹿だと、のんきに構へてをりま
した。
 さうすると、翌る朝漁師が来て、ザブンと網を下しました。
二人の魚はまんまとその網にかゝりました。
 併し ぐず/"\するない は上手に死んだふりをしてゐて、し
まひに隙を狙つて、ひよいと沼の中へ跳ね飛んでどん/\遁げて
しまひました。
 ところが、どうにかならうよ はのろまなものですから、いきな
り捕まつて煮て食はれてしまつたんです。
 そこまではいゝけれど、さツき私が向うにゐたら、漁師たちが
来て、明日はこの沼へ網を入れようといふ相談をしてゐるぢや
ありませんか。私はそれを聞いてびつくりして飛んで来たので
す。雁さん、どうしたらこの池を遁げ出せるでせう。」と亀はさ
も困つたやうにかう申しました。
「それはあなた、遁げて行かうといふには、空を飛んで行くより
外には為方(しかた)がないぢやありませんか。」と雁は申しました。
「だつて私には羽根がないから飛ばれやしません。どうぞ私
をつれて遁げて下さいよ。」と亀は頭を下げてたのみました。
「でも、飛べないお前さんが、私たちと一しよに遁げられないぢ
やありませんか。」
「いや、それにはいゝことがあります、私が何か棒ツ切れに掴ま
つてゐるから、お前さんたち二人でその棒ツ切れの両はじを
くはへて飛んで行つてくれゝばいゝでせう。」
「成程、それでは早くその棒ツ切れを探して入らつしやい。」
 そこで亀はいゝ加減な棒ツ切れを見つけて来て、それに掴ま
りました。
「併しあなたはお喋りだけれど、途中でうつかり、口をきく
と、すとんと下へ落ちてしまひますよ。」と雁が申しました。
「分つてゐます。喋りやしません。」
「ぢや行きませう。そうら、ばた/\/\。」
と雁が二人で棒ツ切れをくはへて、なんなと一しよに大空へ駆
け上りました。そして一生けんめいにどん/\飛んで行きま
すと、下の村の人たちがそれを見て、
「やアい、亀が飛んでらアい」と囃し立てました。
「あはゝ今にすとんと落ツこちるよ。」
「はゝゝゝア」と、みんなで大笑ひをしながら見てゐました。
 亀はそれを聞いて、
「余計なお世話だい。さううか/\落ツこちてたまるものか。」
と思ひました。
「やアい亀、落ちろよ、落ちろよ。」と下ではみんなが怒鳴りまし
た。
「さあ、早く火を焚いて為度(したく)をしておかないか、あの亀が落ちて
来たら、早速焼いて食べようぢやないか。」と、その中の一人が
申しました。亀はそれを聞くと、むツと怒つて、
「何だ、私を焼いて食べる?へん、泥でもお食べよ。--馬鹿ツ。」
と、うつかり大声で怒鳴りました。
それと一しよに亀は、くる/\くる/\すとんと地べたへ落ち
て、とう/\みんなに焼いて食べられてしまひました。(をはり)

この類型の話は、イソップ寓話となんらかの関係がある可能性がありますが、直截的に関連するのは仏教説話から派生したインドの昔話であるようです。上記の「おしやべり」はインドの昔話から前半部分は「三匹の魚」、後半は「亀と鵞鳥」という話が用いられています。

パンチャタントラ
不信の龜
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978860/219
三匹の魚
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978860/220

シャルマン物語(ヒトパデーシア)
龜と鵞鳥
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717511/98
準備と敏捷となげやりの三魚
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717511/99

「3匹の魚の内1匹だけが先に逃げ、2匹は捕らえられ、その一方は死んだ振りをして逃げる」というような内容や、亀と地上の人間の言い争いの類似から、「おしやべり」はヒトパデーシア系統からの翻案であるように思われます。(パンチャタントラ系統では2匹は逃げ1匹だけが捕らえられます)

参考文献:イソップ寓話の世界 中務哲郎 著  ちくま新書 p170~p174
参照:「亀と鷲」と「亀と二羽の白鳥」につ いて

次に、三重吉の中学生時代に作った「あほう鳩」という話が紹介されていました。

『少年倶楽部』第三巻一八九七年五月、一一〇・一一一頁
あほう鳩   広島県広島市猿楽町 鈴木三重吉
 気候は追々寒くなる動物は皆難儀甚だしくて、因却致し
ます中にも、小鳥は、とある小枝に集会して、巣の寒さに堪へ難
きを評議しました。併し中々相談がまとまりさうでも有りま
せなんだ。所が議員中の鶯梅之助氏は『こんなグズ/\した
事では間に合はんソウジヤ/\』と独り問ひ独り答へて近辺に
座を占めて居た。目白鳴三郎を誘ひて、評議して居る仲間を
後に見て、高き山山を越えて、ダン/\に進んで行きました。
目白氏は心気な上に疲れて来て『理由も聞かずに附いて来た
が、一体如何する積りだろう、ヨシ/\鶯君に尋ねて見やう』
と先に立ちたる鶯に向ひ『鶯君、君は遠くに僕をつれ出してい
じめる考へか如何するのだ』鶯は『僕はそんな悪戯はしなひの
サ』と後目もふらず行く内に或る深山の中程なる五抱も有ら
うかと思ふ様な大きな松の木の下まで来まして『此所だ此所
だ』と目白を下に待たして、置いて、松の深葉の中に屋敷を構ふ
る鳶大目之助先生の玄関に至り『一寸御免なさい』『何殿(どなた)で
すか』と出で来たのは此の屋の細君と見えまして、品格のある
婦人でした。鶯は頭を掻乍ら『私は見るかげもない小鳥です
が、旦那に御願ひが有ツて参じました、旦那御内ですか』『マア
上れ誰だ』と。口ひげをひねり乍ら鳶大先生御出ました成ツ
た。『ヤア誰かと思や鶯か、先づ此ツちへき給へ』『はい有難う存
じます、初めて御目にかゝりまして、………御壮健で、何より
の事で、』、『フン随分壮健で、………シテ御願ひとは何事か
ね』『外の事では御座いませんが、先生どうも私の家は、不丈夫で
此冬暮し兼ねうかと存じまして甚だ申し兼ねますが何卒丈
夫な建方が御伝授願ひたひので、実は目白と同道して参りま
して、下へ待たして置いた様な事で御座います。マアどうか御願
ひ申します』『理由(わけ)を聞けば、実に可憫だ、ジヤ教へて遣はさう、
実はかく/\かやう/\致すのじや』と教へられて、鶯は大悦
こび、早々己れが住家へ帰りて、目白と協同して冬を凌ぐべき
大丈夫の立派な家を作りました。数多の小鳥等は此事を聞
き伝へ、鶯目白に頼んで教へを受け、各丈夫な家を建て、楽に
此冬が送られると大悦びこれから鶯、目白は大へん仲間の尊
敬を受けました。
此に小鳥など弱きものをイヂメ、大の憎まれ者でアホウとあだ
なせられる、一羽の鳩が居ましたが小鳥などの巣をうらや
ましかり、伝授を頼んだが、平生イヂメた返報で教へてが有り
ません。そこで大に困りて居ましたが、誰曰ふとなく、鳶は親切
に教へて呉れるそうだといふ事が鳩の耳に入りました。鳩は『ジ
ヤー鳶に頼まう』と鳶の元へゆき、無礼にも案内なしに上りこ
みて、アイサツをもせずに、此事を頼みました。鳶は心の中で
『無礼な奴じや』と思ひましたが、元来親切な生ですから、そを
色にも出さず、親切に教へかけましたが、鳩は『ウン知ツた/\
分タ/\』と終りまで聞かず、礼をも云はず、ヤレソリヤで帰
りました。諸君もし此鳩がよく、含み込めば善いのに、ウン知ツ
た/\でやりましたから、今度巣を作る役になりて、旨く行き
ません。ダツテ又問ひに行くのもきまりがあしく、遂に大概に
して置きましたそれが鳩の巣は今に至迄、不細工で、テンツマ
リは人工を貸りて、やう/\住み込む様な事になツたのです。
何事によらず、軽浮に扱ふとあの鳩の通り、終りを全うする事
ができません。


この話は、色々潤色はされていますが、日本の昔話にもある「鳩の巣作り」の話です。

日本昔話通観   稲田 浩二 同朋舎出版
タイプインデックス 483『鳩の巣作り』
①烏が鳩に巣の作り方を教えるが、鳩はいい加減に聞き流して飛び去る。
②それで鳩は、不細工な巣しか作れない。


日本昔話通観  小澤俊夫 稲田 浩二 同朋舎出版
18-577『鳩の巣作り』 能義郡広瀬町西比田・男

 うぐいすはきれいな鳥であるし、りっぱな巣も作る。鳩が見て、あんな巣が作れればよいのにと思い、うぐいすに巣作りを習いに行く。うぐいすがていねいに教えるのに、「ははあ、ああ、そげえか、そげえか」と半分ほど聞いて帰る。自分で巣を作ろうとしてもなかなか作れない。も少しよく聞いとけばよかったと思ったが、まあよいと不細工な巣を作った。このことから鳩合点という言葉がある。
 
この類話は外国にもあります。

Type236 (Aarne-Thompson Type Index)
ツグミはハトたちに、小さな巣の作り方を教える。
ハトは「I know」と言い続ける。そして、小さな巣を作ることに固執する。

そしてこの類話は、ペリーのイソップ寓話集にも入っています。

ペリー626『郭公と鷲』
 ある日のことである。鳥たちは、バラなどの甘い香りの花々で編まれた巣を見つけた。そこで、鳥の王である鷲は、最も高貴な鳥にこの巣を与えることにすると宣言した。そして鷲は、議会を召集し、誰が一番高貴な鳥か出席した全員に尋ねた。すると、郭公が、「カッコウ、カッコウ」と答えた。更に鷲は、一番速く飛ぶ鳥は誰か尋ねた。すると郭公が、「カッコウ、カッコウ」と答えた。では、一番歌の上手な鳥は誰か? 「カッコウ、カッコウ」またしても郭公が答えた。鷲は郭公にうんざりして腹を立てるとこう言った。
「哀れな郭公よ。お前は絶えず自分を褒めてばかりいる。よって、ワシはお前に次のように言い渡す。この巣はお前には決してやらぬ。それどころか、お前はどんな巣も持ってはならぬことにする」
こうして、郭公は、いつでも他の鳥の巣へ卵を産むようになったのだ。


ペリー626の話は、鳩ではなく郭公になっており、「何故、郭公が巣を持たずに他の鳥の巣に卵を産むようになったか?」の起源説話にもなっています。ペリーの話には、鷲が鳥の王として登場します。そして鳥の会議が開かれています。これは、「あほう鳩」に出てくる鳶や、評議と関連があるかもしれません。

更に、日本の昔話にも郭公の出てくる話があります。

日本昔話通観  小澤俊夫 稲田 浩二 同朋舎出版
11-579『スックロの家なし』
(原題・カンコ鳥、便覧) 石川県鹿島郡田鶴浜町
 立山のカンコ鳥は巣を作らずに遊ぶばかりしていて住む家がないので、夕方になると、「スックロ、スックロ」と鳴く。遊んでばかりいたらだめだ。

鈴木先生の論考によると、赤い鳥の作品群とイソップ寓話との関連については、ほとんど調べられていないそうです。当ブログでも、赤い鳥を網羅的に調べることはできないのですが、イソップ寓話と関連のありそうな題名からごく一部ですが読んでみました。次に、「世界童話集 21 象の鼻 鈴木三重吉」に掲載されている、「悪狐」と「虎と乞食」という二つの話を見てみたいと思います。 

この本の前がきに、「悪狐」はドイツの童話を芸術的に再話したものであることが書かれていますが、これは、ゲーテの「ラインケ狐(狐の裁判)」の抄訳であると思われます。ゲーテの「狐の裁判」は明治17年というかなり早い時期に井上勤により翻訳されています。また、巌谷小波の「こがね丸」にも「狐の裁判」のモチーフが用いられています。次に「魚泥棒」のモチーフの話を見てみます。

悪狐 p32-34
・・・狼さんと狐とは、二人とも食べものがなくて困つてゐました。さうすると、雪のつもつた村の通りを、魚をつんだ荷馬車が通りました。
 狼はその魚を買つて食べたいと思ひましたが、お金を一銭も持つてゐません。それで狐が考へついて、わきみちから、どん/\先へ走つていつて、その荷馬車のとまるところへころがつて、死んだふりをしてゐました。
 馬車つかひは、馬車をとめて、ぴしやりと狐をたゝいて見ました、狐はいたいのをがまんして、じつとしてゐました。馬車つかひは、ほう、しめた、あの毛皮をはいで頸巻を作らうか、と一人ごとを言ひながら、狐を引つつかんで荷の上へほうり上げました。そして又がら/\とかけ出しました。
 狐はそのみち/\、こつそり魚をとつては、どん/\雪の上へ投げました。そして、しまひに飛びおりて、狼さんと二人で食べようと思ひますと、狼は、とつくに一人でみんな食べてしまつて、あとは骨ばかりが残つてゐるきりでした。

こがね丸
・・・・・・・
さてその翌朝あけのあさ、聴水は身支度みじたくなし、里のかたへ出で来つ。此処ここの畠彼処かしこくりやと、日暮るるまで求食あさりしかど、はかばかしき獲物もなければ、尋ねあぐみてある藪陰やぶかげいこひけるに。忽ち車のきしる音して、一匹の大牛おおうしおおいなる荷車をき、これに一人の牛飼つきて、罵立ののしりたてつつ此方こなたをさして来れり。聴水は身を潜めてくだんの車の上を見れば。何処いずくの津より運び来にけん、俵にしたる米のほかに、塩鮭しおざけ干鰯ほしかなんど数多あまた積めるに。こはき物を見付けつと、なほ隠れて車をり過し、ひらりとその上に飛び乗りて、積みたるさかなをば音せぬやうに、少しづつ路上みちのべ投落なげおとすを、牛飼は少しも心付かず。ただかの牛のみ、車の次第に軽くなるに、いぶかしとや思ひけん、折々立止まりて見返るを。牛飼はまだ暁得さとらねば、かへつて牛の怠るなりと思ひて、ひたすら罵り打ち立てて行きぬ。とかくして一町ばかり来るほどに、肴大方取下してければ、はや用なしと車を飛び下り。投げたる肴を一ツに拾ひ集め、これを山へ運ばんとするに。かさ意外おもいのほかに高くなりて、一匹にては持ても往かれず。・・・・・ 

狐の裁判  ゲーテ著  井上勤 訳 p11-12
狐の裁判  ゲーテ著  樋口紅陽訳 p11-12 

日本昔話大成 関敬吾 角川書店
動物葛藤1魚泥棒

1.狐(熊・猿)が路上で死んだまねをする。魚屋が狐を捕えて魚車にのせる。狐は魚を車の外に投げすて、それをとって逃げる。2.熊(兎・狐・狸)がその魚を見て、どうしてとったかとたずねる。狐は氷穴に尻尾を入れて釣ったと欺く。3.熊はそのとおりにして尻尾を凍りつけられる。
Type1 The Theft of Fish.

参照: エソポのハブラス1.24

 
この「狐の裁判」の物語にはこの他に、インドの説話やイソップ寓話のモチーフが随所で用いられています。次に「熊と狐」のモチーフを見てみます。

悪狐  p38-39
・・・・・・・・・
「蜂蜜はこの材木の間にあるのです。あのわれ目へくびを突つこんで、なめてごらんなさい、奥の方にどつさりあります。」と狐が言いました。
 人のいゝ熊は、
「ほう、これはありがたい。」と言ひ/\、横手から鼻先をぐりぐい突つこんで、舌でペロ/\となめさがしました。
 狐はすきまを見て、ぽんと、くさびをたゝきはづしました。熊は顔半分を、ぴしやりとはさまれて、
 「あいた、たゝゝゝ。あゝ、はなしてくれ、うゝう、いたい/\/\。」と泣き出しました。

狐の裁判  ゲーテ著  井上勤 訳 p39~
狐の裁判  ゲーテ著  樋口紅陽訳 p27~

この話を、「狐と熊の争い」という観点から見ると次のような類話が見られます。

昔話大成 関敬吾 角川書店
動物新 04『熊と蜜蜂』

1、狐が熊に蜜蜂の巣を教える。2、熊が巣に近づくと蜂は熊を襲う。その間に狐は蜜を持って逃げる。

ウサギどんキツネどん28『クマどんのさいご』(J.C.ハリス)
八波直則 岩波少年文庫 参照
・ウサギがメドウズさんのお呼ばれに行った帰り道、クマと出会う。ウサギはクマに、ハチミツの巣のある古い木があることを教える。クマが木に登り、洞に頭を突っ込むと、ウサギは下のハチの巣を棒で叩く。ハチがクマの顔を刺し、クマの顔が脹れて、洞から抜けなくなる。もし頭のはれがひかなければ、今でもそのままだろう。


この話を「楔に挟まれる」というモチーフから見ると、次のような類話が見られます。

Ernest Griset 297『猿と大工』
  猿は、大工が木材に割れ目を入れると、次から次ぎへと二つの楔をはめ込んで木材を割って行くのを見ていた。大工は、仕事を半分の残してその場を離れた。猿 は自分の手で、木材を割ってみたくなった。そこで、木材の所へ行くと、割れ目にあてがわれていた楔を抜いた。すると、裂け目が閉まり、間抜けな猿の前足を 素速く捕らえた。猿は逃れることができなくなってしまった。そこへ大工が戻って来た。彼は自分の仕事に手を出した猿に腹を立て、猿の頭を叩き割った。

参照:トルストイの印度寓話04『猿』   

イソップ寓話関連では次の話があります。

Bewick's Select Fables of Aesop and Others.
2.35『言いつけに背く若いライオン』
経験豊富な年老いたライオンが息子のライオンに色々な助言を与えた。その中の一つに決して人間には近づいてはならぬというものがあった。
「もしそんなことにでもなったら、大変なことになるぞ」
若いライオンは、父親の話を聞いて、その助言を記憶には留めたが、肝に銘じることはなかった。
 その後ライオンは大人になり、体力も精神力も爛熟すると、人と戦おうと人間を探し回った。歩き回っていると、彼はくびきに繋がれた牡牛や、鞍などの馬具をつけたウマに出会った。そして、それぞれに、お前が人間か? と尋ねた。彼らは自分たちは人間ではないと答えた。ライオンはそれから、木を切り倒している者のところへとやってきた。
「俺の言うことがわかるか?」ライオンが言った。「お前が人間だな」
「そうです。私は人間です」
「そうか、よかった。無理にとは言わんが、お前は、俺と戦ってみる気はないか?」
「いいですよ」人間が言った。「快くお受けします。あなたもご存知のように、私はこれらの木材を全て引き裂くことができるのです。あなたもこの木を引き裂くことができるか試してみてください。この木の割れ目に足を入れるのです。その鉄の小片があるところです。」
 こう言われてライオンはすぐに、自分の足を木の裂け目に入れた。そして、物凄い力で、その鉄の小片を引き抜いた。すると木は、すぐさまライオンの足先を挟み込んだ。男はすぐさま大声を出して、このことを村中に知らせた。ライオンは、彼が足を入れた割れ目が何であるかを悟った。彼は肝っ玉を据えて揺さぶった。そしてその罠から足を引き抜いた。しかし、鉤爪はそこに残してゆくことになった。ライオンは血まみれになって、父親の許へと逃げ帰った。そして父親に言った。
「お父さん。お父さんの助言に従っていれば、決してこんな目にあわなかったものを……」
教訓
親へ反抗すれば、遅かれ早かれ、神の罰を受けることになる。 

Pe706『人について学んだライオンの息子』(706a), Cax5.16
冗談とまじめ018『木から爪が抜けなかったライオンのこと』
冗談とまじめ250『ミロが死んだときの様子のこと』
Type38 木の裂け目に鉤爪引っかかる。
K1111  お人好しは、手(足)を木(万力や楔)の間に入れる。

ところで、ゲーテの「狐の裁判」では、狐のライネケは危機の都度、その舌先三寸で乗り切るのですが、三重吉の「悪狐」の結末は、「悪い狐が王様のライオンに捕まって懲らしめられる。」という道徳的な結末に改変されています。



最後に、「虎と乞食」について見てみたいと思います。この話は「前がき」にインドの民話を芸術として再話したことが書かれていますが、この話は、THE BRAHMIN, THE TIGER AND THE SIX JUDGES.(バラモンと虎と6人の裁判官)の翻訳であると思われます。

OLD Deccan Days OR HINDOO FAIRY LEGENDS
CURRENT IN SOUTHERN INDIA.
COLLECTED FROM ORAL TRADITION, By M. FRERE.
WITH AN INTRODUCTION AND NOTES, By SIR BARTLE FRERE.
Gutenberg.org

次に、三重吉の「虎と乞食」と「バラモンと虎と6人の裁判官」の登場人物を比べてみたいと思います。

バラモンと虎
と6人の裁判官
主人公:

Brahamin(バラモン)
Tiger (虎)
6人の裁判官
1.Banyan tree (バニアンの木) 
2.Camel (ラクダ) 
3.Bullock (牛) 
4.Eagle (鷲) 
5.Alligator (ワニ) 
6.Jackal (ジャッカル)

三重吉の訳では、バラモンは「乞食」に変えられています。海外でもバラモンを「旅人」と変えている例があります。また、三重吉は6人の裁判官のうち、2番目のラクダを省いています。これは、ラクダは、3番目の年老いた牛と同じ境遇で重複するため、一方を省いたのかもしれません。そして、6番目のJackal(ジャッカル)なのですが、三重吉はこれを「豹(へう)」としています。しかし、ジャッカルとヒョウではキャラクターが違います。もしかすると、三重吉は、豺(サイ)と豹(ひょう)を見間違えたのかもしれません。
「パンチャタントラ」や「ヒトパデーシア」や「カリーラとディムナ」の邦訳では、ジャッカルに相当する動物を「豺(サイ)(ヤマイヌ)」と表記することがありますが、これを「豹」と見間違えたように思えます。実はこのような例は他でも見られます。

Wikipedia カリーラとディムナ
・・・・・・
題名の「カリーラ」と「ディムナ」は物語に登場するヒョウの名前であり、第1編「ライオンと牛」の主人公カラタカ(Karataka)とダマナカ(Damanaka)の名前が転訛したものである。 

Wikipediaにはこのように書かれているのですが、「カリーラ」と「ディムナ」はヒョウではなく、ジャッカルに相当する動物です。この二つの事例を勘案すると「豹(ヒョウ)」は「豺」の誤読であると推測できます。 (三重吉は、Jackal を訳する時に、ヒトパデーシアの邦訳からJackalに相当する動物を参照し、その際に豺を豹と見間違えた可能性があるように思います。)

次に、「虎と乞食」の類話について見てみたと思います。

日本昔話大成  関敬吾 角川書店
動物新 13.2『商人と蛇・第二類』
1、旅人が檻に入った虎を出してやる。2、虎は旅人を食おうとするので、三人の意見を聞いて決めることにする。3、牛と木は食えると答える。4、狐は最初からみせろといい、虎が檻に入れると錠をかける。

この日本の昔話は「バラモン」が「旅人」となり、裁判官が6人から3人に減っています。また、「ジャッカル」は「狐」となっています。ジャッカルと狐は似たキャラクターなので、ジャッカルのいない地域では狐に置き換えられることがあります。おそらくこの話は、「バラモンと虎」と同じ話で、明治以後の翻訳から日本の昔話となったのではないかと思います。(裁判官の人数が3人になっているところから、Indian Fairy Tales by Joseph Jacobs The Tiger, the Brahman, and the Jackal からの訳が基になっている可能性も考えられます。)

そしてこの類話は「ラインケ狐(狐の裁判)」にも入っています。

狐の裁判  ゲーテ著 井上勤 訳  p257~
狐の裁判  ゲーテ著 樋口紅陽 訳
旅人と大蛇の裁判

当然三重吉は、「虎と乞食」の類話が「狐の裁判」に入っていることは知っていたのだと思います。知っていたので、「悪狐」の次に「虎と乞食」を載せたのかもしれません。
 ところで、「旅人と大蛇の裁判」の話は、江戸時代の初めに日本で出版された、国字本の伊曽保物語にも入っています。

伊曽保物語 三巻 四 たつと人の事
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532142/81
ある河のほとりを。馬にのりてとをる人ありけり。其
かたハらにたつといふもの。水にはなれてめいハく
するありけり。此たついまの人をミて申けるハ。われ
今水にはなれてせんかたなし。あはれみをたれ給ひ。
その馬にのせてみつのある所へつけさせ給はゝ。その
返報として。金せんを奉らんといふ。かの人誠と心え
て。馬にのせてみなかミへおくる。そこにてやくそく
の金せむを。くれよといへは。たついかつて云。なんの
きんせんをかまいらすへき。我を馬にくくりつけて。
いため給ふたにあるに。きんせんとは何事そと
いとみあらそふ所に。狐はせ来て。さてもたつとのハ
なに事をあらそひ給ふそといふに。たつ右のおも
むきをなんいひけれハ。きつね申けるハ、われこの
公事をけつすへし。さきにくくりつけたるやうハ。
なにとかしつるそといふに。たつ申けるハ。かくの
ことしとて又むまにのるほとに。きつね。人に申ける
ハ。いか程かしめ付たるそといふ程に。これ程とて
しめけれハ。たつの云。いまたそのくらいなし。したたか
にしめられけるといへは。これ程かとていやましに
しめつけて。人に申けるハ。かゝるむりむほうなる
いたつらものをは。もとのところへやれとておつ立
たり。人けにもとよろこひて。本のハたけにおろせり。
其時たついくたひ。くやめともかひなくしてうせに
けり。そのことく人の恩をかうむりて。その恩をほう
せんのミ。かへつて人にあたをなせは。天罰たちまち
あたるものなり。これをさとれ

(句点。万事本を参考に挿入)

このイソップ寓話では、「竜は水場から離れて迷惑している」となっていますが、「乞食と虎」でも「虎は喉が乾いて困っている」となっています。おそらくこのインドの民話も元々は竜の話であったものが、何らかの理由で虎に変容したのではないかと思います。日本でも後に、絵入教訓近道において「竜」は「河童」に変容します。また、日本では河童と水虎が同一視されていることも留意すべきかもしれません。

参照:竜の話

イソップ寓話は明治から頻繁に翻訳がなされているので、赤い鳥ではイソップ寓話そのものを取り上げることはなかったのかもしれません。しかし、西洋の昔話などにはイソップ寓話のモチーフが使われることがよくあるので、赤い鳥でもイソップ寓話と意識されずに用いられている例が他にもあるかもしれません。(ちなみに、「デイモンとピシアス」の中で、「ドモクレスの刀」という有名な話が出てきますが、これもペリーのイソップ寓話集に631『ギリシア王と彼の弟』として採話されています)

2021年1月9日
2021年1月12日改定

2017年7月17日月曜日

トルストイの印度寓話17『網の中の鳥』

トルストイ少年少女読本[3] 子供の智恵 米川正夫 訳 河出書房 1946 昭和21年

トルストイの印度寓話17『網の中の鳥』
 一人の猟師が湖の傍に網を張つて、沢山の鳥を掛けました。けれど、それがみな大きな鳥だつたので、網を持ち上げて、網と一緒に飛んで逃げました。猟師は 鳥の後を追つて駆け出しました。一人の百姓が、猟師の走つてゐるのを見て、声をかけました。
 『一体どこへ走つて行くのだ? 鳥を追つかけるなんて、そんなことが出来るもんかね?』
 猟師は答へました。『もし鳥が一羽きりだつたら、とても追つつく事はできないけれども、今は大丈夫おつつけるよ。』
 案の定その通りでした。晩になつて、鳥が塒を求め始めましたが、みんなめい/\思ひ思ひの方をさして、一羽は森の方へ、一羽は沼の方へ、また一羽は野原 の方へ行かうとするので、みんな網と一緒に地面へ落ちました。で、猟師はそれを拾つて帰りました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169127/16

露国民衆文学全書 第三編 ろしあ童話集  昇曙夢(のぼりしょうむ) 大倉書店 1919 大正8年
ろしあ童話集トルストイ物語17『網にかゝつた鳥』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958849/20

春陽堂少年文庫 トルストイ童話集 昇曙夢 1932 昭和7年
トルストイ童話集童話篇17『網にかゝつた鳥』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1168514/14

The Complete Works of Count Tolstoy Volume XII.
Fables for Children 1869-1872
by Count Lev N. Tolstoy
Translated from the Original Russian and edited by Leo Wiener
Assistant Professor of Slavic Langauages at Harvard University
Boston Dana Estes & Company Publishers
II. ADAPTATIONS AND IMITATIONS OF HINDOO FABLES

17.THE BIRDS IN THE NET
A Hunter set out a net near a lake and caught a number of birds. The birds were large, and they raised the net and flew away with it. The Hunter ran after them. A Peasant saw the Hunter running, and said:
"Where are you running? How can you catch up with the birds, while you are on foot?"
The Hunter said:
"If it were one bird, I should not catch it, but now I shall."
And so it happened. When evening came, the birds[Pg 27] began to pull for the night each in a different direction: one to the woods, another to the swamp, a third to the field; and all fell with the net to the ground, and the Hunter caught them.
https://archive.org/stream/completeworksofc12tols?ui=embed#page/26/mode/2up

二十世紀少年新節用 教育講究会 編 山本文友堂 1910 明治42年
二十世紀少年新節用童話04『猟師と網』
猟師と網 挿絵01
 猟師が湖の傍に、係蹄(わな)をかけて置たが、沢山な鳥が掛つた。しかし余り鳥が沢山であつたから、網ぐるみ飛で往(いつ)て了(しま)いました。
猟師と網 挿絵02
 猟師わ夫(それ)を何処までも追(おつ)かけようとしましたが、一人の男、猟師を留(と)めて『君、そんなに追かけたつて、人間の足で鳥に追付(おつ つ)かれるものか』、猟師わ『イヤ、一羽や二羽なら棄てゝ置くが、君、アレだけ沢山な鳥だから、今に僕の手に落ちるよ』と、走り/\云いました。
猟師と網 挿絵03
 案の定、夕方になると、今まで網の中に一所に居て飛んでいた鳥わ、森の方え往こうとするもの、沼の方え往こうとするもの、野原え往こうとするもの、各自 (めい/\)勝手に好きな方え飛で行こうとしましたので、そのまゝ網ごとドツサリ地に落ち、直ぐ猟師の手に這入(はいつ)て了いました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169920/23

Type233B TMI.K581.4.1

仏教経典

昭和新纂 国訳大蔵経 経典部 第二巻 東方書院 昭和新纂 国訳大蔵経 経典部 第二巻 東方書院  雑譬喩経 比丘道略集
雑譬喩経26『捕鳥師喩』
捕鳥師(ほてうし)の喩
 昔、捕鳥師(ほてうし)有りて羅網(らまう)を沢上(たくじやう)に張り、鳥の食(じき)する所の物を以て其中に著(お)く。衆鳥命侶(しゆてうみやう りよ)、競ひ来りて之を食(じき)す。鳥師(てうし)其網を引くに、衆鳥尽(しゆてうこと/゛\)く網中(まうちう)に堕ちぬ。時に一鳥有り、大にして多 力(たりき)なり。身もて此網を挙げて衆鳥と倶(とも)に飛びて去る。鳥師影を視て随(したが)つて之を逐(お)ふに、人有り鳥師に謂(い)ひて曰はく、 『鳥は虚空に飛べるに汝は歩きて逐(お)ふ。何ぞ其れ愚(ぐ)なるや。』鳥師答へて曰はく、『是(かく)の如く告げず。彼鳥(かのとり)日暮(ひくる)れ ば要(かなら)ず栖宿(ねぐら)を求めん。進趣(しんしゆ)同じからざれども是(かく)の如くんば当(まさ)に堕つべし。』と。其人、故に逐(お)うて止 (や)まず。日転(ひてん)じて暮るるを以て、仰いで衆鳥の飜飛争競(まんびさうきやう)するを観るに、或(あるひ)は東に趣かんと欲し或は西に趣かんと 欲し、或は長林(ちやうりん)に望み、或は淵に赴かんと欲す。是(かく)の如くして已(や)まざるに須臾(しゆゆ)にして便(すなは)ち堕ちぬ。鳥師遂に 得て、次(つ)いで之を殺せり。
 捕鳥師は波旬(はじゆん)の如きなり。羅網を張る者は結使(けつし)の如きなり。網を負うて飛ぶは、人の未だ結使を離れず出要(しゆつえう)を求めんと 欲するが如きなり。日暮れて止(とどま)るは、人懈怠(けたい)の心生じて復(また)進まざるが如きなり。栖(ねぐら)を求めて同ぜざるとは、六十二見 (ろくじふにけん)を起して恒に相反するが如きなり。鳥の地に堕つるは、人の邪報(じやはう)を受けて地獄に落つるが如きなり。此は結使塵垢(けつしぢん く)は是れ魔の羅網なることを明す。

大正新脩大藏經 衆經撰雜譬喩 道略集 鳩摩羅什譯
衆經撰雜譬喩卷下(二四) T0208_.04.0537a19



ジヤータカ物語 林光雅 訳 甲子社書房 1924 大正13年
捕捕者と鶉の話
 その昔ブラフマダツダ王がベナレスの王であつた頃。菩薩は鶉に生れ来て数千羽の鶉の頭(かしら)としてある森に住んでゐたその頃、鶉を捕りにこの森へ来 る捕捕者(とりとり)があつた。かれは巧みに鶉の鳴き声を真似て、鶉を呼び集めその上へ網を投げてはその四隅を引きよせた。かうして捕へた鳥を持つて来た 籠へ入れてわが家へ持ち帰り、やがてこれお売り捌いてその日その日の生計(くらし)をたてゝゐた。
 さてある日のこと鶉の頭(かしら)は部下の鶉に対[むか]ひて、
『この頃捕鳥者が私達の仲間を荒して困るが、私はあの捕鳥者につかまらずにすむ妙案を考へ出した。これからは網を投げかけられたら、皆でめい/\直ぐに網 の目へ首を突き込み網もろ共に思ふ所へ飛んで行つて、どこかいばら藪の上へ網を落とすがよい。さうすれば下から網の目を抜け出して逃げることが出来や う。』
と話し聞かせた。
 皆の者は、
『なる程よい思ひ付きである。』
と言つた。
 その翌日網を頭の上から投げかけられた時に、鶉どもはその頭(かしら)から教へられた通りに網を持ち上げて飛び去り、いばら藪の上に降り下から抜け出て 首尾よく逃げてしまつた。捕鳥者(とりとり)は網を藪から取り外づしてゐる中に、日が暮れかけて来たので空手で家に帰る外かに仕方がなかつた。翌日もその 翌日も鶉は同じ手で無事に逃げることが出来た。捕鳥者は毎日日の暮れまで網の取り外づしに手間取つてしまひ、結局空手で帰るのがおきまりであつた。そこで怒つたのは女房で、
『お前さんは毎日毎日空手で戻つて来るが、屹度何処かに囲ひ者でも出来てその方へ入れ揚げるのであらう。』
と詰問に及んだ。
 捕鳥者は女房から意外の嫌疑を受けたので、
『いやどうして囲ひ者どころの話ではない。鶉の奴め予て謀(しめ)し合せて置いたものと見え、私が網を投げかけると網ごと飛んで行つていばら藪に網をひつ かけ、まんまと下から抜け出してしまうのである。併しそういつまでも互ひに気の合ふものでもあるまい。まあ心配することはない。奴等が喧嘩でも始めたら最 後、一羽残らず捕へて来てお前に喜んでもらふとしやう』
と弁解しながら女房に対ひ、次のやうな歌の句を歌つて聞かせた。
  気の合ふ中は鳥も網ごと飛んでゆく。
  併し喧嘩を始めたらみんなこつちのものになる。
 その後間もなくある鶉が餌を食ふ為めに地面に下り立つた時、別の鶉の頭(あたま)を間違つて踏みつけた。すると踏まれた鶉は怒つて、
『誰だ。私の頭を踏んだ者は?』
と叫んだ。
『私だよ。だがわざとした訳ではなし、まあそう怒るなよ。』
と踏んだ鶉が宥めた。併し踏まれた奴はなか/\機嫌を直さうとはしない為めにお互いに悪口雑言の末、
『こん度網を投げかけられたらお前独りで持ち上げる積りだらうな。私は知らないいよ。』
と言ひ争ふた。
 これを聞いた鶉の頭(かしら)は心の内で、
---お互いに言ひ合ひをする者にはとても無事な世渡りは出来ないものだ、かれ等も網を持ち上げることを互にかづけ合つて身の破滅を招く時が来たのだ。捕鳥者はうまくせ しまることであらう。私ももうこゝにかうしてはゐられない。---
と思ふたので、早速部下の鶉をひき連れて他の場所へ移り住んだ。
 果せるかなかの捕鳥者(とりとり)は数日を経てから再びやつて来て、鶉の鳴き声をまね沢山の鶉を呼び寄せた。そこで例の如く網を投げかけたところが一羽 の鶉は、
『お前が網を持ち上げると頭の羽毛(はね)が脱け落ちるよ。さあ持ち上げて御覧。』
と言つた。すると相手の鶉は、
『お前が網を持ち上げると両方の翼の羽毛が脱け落ちるよ。さあ持ち上げて御覧。』
と言ひ返した。
 併しお互にこんなことを言つてかづけ合つてゐる 間に捕鳥者は早くも投げた網を持ち上げて皆の鶉を捕へた。そして携へて来た籠に詰めこんで家へ持ち帰へり、大いに女房を喜ばせたのであつた。

33 SAMMODAMANA-JATAKA.


印度説話

世界童話大系 第10巻(印度篇) パンチャタントラ 松村武雄 訳 世界童話大系刊行会 1925 大正14年
世界童話体系Pan2『朋輩獲得の巻』 (烏と鹿と亀と鼠--2巻の大枠の話)
 南の国にマヒラロピヤといふ都会(まち)があつて、その都会(まち)から程遠からぬところに、枝の茂つた高い無花果(いちじく)の樹がありました。
 この樹に、ラグパターナカといふ一羽の烏が住んでゐました。あるとき餌(ゑ)を探しに都会(まち)に出かけて行くと、鳥網(とりあみ)を持つてゐる人の 男が目につきました。
 烏はこれを見ると、心の中で、
 『この悪漢(わるもの)が無花果の樹のところにやつて来たら、あの樹に住んでゐる鳥どもは、みんなやられてしまふだらう。』
と考へました。そこですぐに無花果の樹のとこに飛んで帰つて、鳥どもに対(むか)つて、
 『悪い猟師が網と米粒を持つてやつて来てゐる。すぐに網をはつて、米粒をまくだらう。が、その米粒は恐ろしい毒薬と考へなくてはならぬよ。』
と云ひました。云つてゐるうちに、もう猟師がやつて来て、網をはつて、米粒を撒いて、自分は程近いところに隠れました。しかし鳥どもは烏の話を聞いてゐま すので、少しも対手(あいて)になりませんでした。
 そこへチトラグリーヴァと云ふ鳩の王が大勢の鳩を連れて、餌(ゑ)を探しにやつて来ました。そして遠くから米粒を見ると、烏が止めるのも聞かないで、そ れを食べ始めました。と思ふとみんな網にかかつてしまひました。
 猟師は大層喜んで、棒を振り上げながら駈けて来ました。鳩の王はこれを見て、鳩たちに、
 『恐がるには及ばぬ。
  「不幸に際して細心の思慮を失はぬものは、
   常にその力によつて不幸を征服することが出来る。」
といふことがある。みんな力を合わせて、網をかついだ儘、一せいに飛び上るがいい。もし恐がつて、一せいに飛べないとみんな命を失つてしまふぞ。』
と云ひました。そこで鳩は力を合せて、網をかついだ儘、一せいに空に飛び上りました。
 猟師はびつくりして、そのあとを追つかけましたが、やがて鳩の姿は遠くへ見えなくなつてしまひました。
 鳩の王は猟師が見えなくなると、鳩たちをマヒラロピヤの都会(まち)の北の方に住んでゐる一匹の鼠のところにつれて行きました。この鼠はヒラニヤカとい つて、鳩の王と大層親しい友達でした。
 鳩の王は、鼠の住んでゐる穴に来て、高い声で、
 『ヒラニヤカさん、早く来て下さい。わたしは大へんな目にあつてゐるんだから。』
と云ひました。鼠の穴の中から、
 『お前さんは誰です。何しに来たのです。大へんな目つて、どんなことです。』
と尋ねました。
 『私はお友達の鳩の王ですよ。だから早く出て来て下さい。あなたの力をどうしても借りなくてはならないんですから。』
と、鳩の王が云ひました。鼠はその声音(こわね)を知つてゐますので、すぐに穴の中から出て来ましたが、鳩どもがみんな網にかかつてゐるのを見て、大へん 驚きました。鳩の王はそのわけを話して、
 『どうか網を咬みきつて下さい。』
と頼みました。鼠は承知して、先づ第一に鳩の王を助けようとしますと鳩の王はそれをおし止(とど)めて、
 『どうか家来どもを先に助けて下さい。』
と云ひました。鼠は腹を立てて、
 『お前さんの云ふことは間違つてゐますよ。家来はいつも主人の後になるものではありませんか。』
と云ひました。
 『いや、さう云つて下さると困りますよ。家来たちは、みな私にたよりきつてゐるんですから、こちらでもそのつもりで、情をかけてやらねばなりませんよ。 私の体にかかつてゐる網を咬みきつてゐるうちに、もしやあなたの歯が折れたり、猟師がやつて来たりすると、家来どもがすつかりやられます。だから先づ家来 どもを助けやつて下さい。』
と鳩の王が云ひました。鼠はこれを聞くと、大へん喜んで、
 『いや私も、王としての業務'(つとめ)は知つてゐますよ。だがちよつとお前さんを試して見たのですさ。では家来たちを先に助けて上げますよ。』
と云ひました。そしてすつかり網も咬み切つて、鳩たちを助け出して、それから最後に鳩の王を助け出しました。
そして、
 『さあ早く家(うち)にお帰り。もしも困つたことがあつたら、いつでもまたやつておいで。』
と云ひました。鳩の王は大層嬉しがつて、家来と一しよに飛び去りました。
------以下省略

パンチャタントラ アジアの民話12 田中於莵弥・上村勝彦訳 大日本絵画
Pan2『鴉と鼠と亀と鹿』

シャルマン物語 : 印度の教養  森畯二 訳 拓文堂  1942 昭和17年 (ヒトパデーサ)
シャルマン物語1『鴉と鳩と亀と鹿との話』

ヒトーパデーシャ―処世の教え   ナーラーヤナ 著 金倉 圓照  北川 秀則 訳 岩波文庫
Hito1『友を得る道』

カリーラとディムナ  菊池淑子 訳 平凡社
Kali03『数珠かけ鳩とかもしかと烏とねずみと亀』

ラ・フォンテーヌ寓話 今野一雄 訳 岩波文庫
Laf12.15『鴉と羚羊と亀と鼠』
(前半がかなり翻案されており、網に捕まるのが、羚羊になっている)


ト ルストイの印度寓話対照表
トルストイの アーズブカ対照表
トルストイの アリとハト対照表